"Young Music Show"は当時、洋楽好きな少年少女にとって、唯一の音楽番組。ギンザ・ナウも、今から考えればマシな番組だけど...当時は、ダサイと思っていた。キャロルのカッコヨサも分からなくもないが...何か間違っていた。中学生がTHE WHO見たら、誰でもそうなるんじゃないだろうか?そうじゃないやつは..ドウデモイイ!消えろ!おまえらマスばっかりかいてんじゃねえぜ!どうせかくなら、ハリウッド女優でコケ!

 本気でそんな事、口走っていたんだから...今も変わらない(?!)阿呆〜。”時間ですよ”や”11PM”を親の眼ゴマカシテ眺めても...モンタレー・ポップ・フェスティヴァルの粋なオネーチャンやウッド・ストックの素っ裸見たら、バカラシク感じてしまうのも当然。

 夢精の嵐はトメドモナク、スクリーンやロードショウといった雑誌の立ち読みが、鬼畜米英知らない日本男児の股間を刺激し、アメリカ建国200年の頃Playboy日本版が登場。

 そうだ、スポーツだ!..と言ったところで止まること知らず。当時の一般的中学生の性的欲求不満克服に貢献したジャンルのひとつに洋楽があったように思う。当時の洋楽は、それくらい熱くセクシーに感じた。アポリネールやバタイユ他、助べーな文学が何十年ぶりに文庫化されたり、エマニエル夫人のヒットがあったりした状況の中、遅れて伝わる商業ロックのゴシップ記事を、隅から隅まで眺める...とんでもないデタラメな世界があったもんだと思った。これこそサド侯爵の世界だ...と。

 とどめを刺したのがPunkだった。今、考えればそれも入念に計算された商業ロックの一部で、ベイ・シティー・ローラーズと何処が違う...そう思うが、当時の..しかも再放映でモンタレーやウッド・ストックを見たばかりのガキにはフィットした。ラモーンズやピストルズ、クラッシュ、ジャムちょっと遡ってドールズ、ヴェルヴェットまで行けばあとは簡単...。源流のTHE WHOへ戻らざるを得ない。浮気は、ホドホドにTHE WHO王道探求の旅が始まった。

 放送委員だったので、昼食の時間にBGMを流す係でもあった。ついに念願かなって、

”My generation" を手に入れた嬉しさのあまり、大音量で流してしまった。あわてて風紀係の教師と保健係のコワーイおばさんが「何をやってんだ〜!」と怒鳴り込んで来た。

「え〜..こないだもNHKでやってたバンドですよ。知らないんですか?先生。 ヤング・ミュージック・ショウですよ..THE WHOっていうんですよ〜先生」

「ダメなものはダメなの!あんた!学級委員でしょう。それくらいの判断ができないの」

「だって先生..NHKでやってたんだから、いいじゃないですか。文句いうならそっちへ言って下さいよ..さっきまで流してたカーペンターズなんてつまらないですよ..そう思わないですか..他の曲も、いい曲いっぱいありますよ。聞きます?先生達」

「とにかく音を小さくして、これ終わったら、違うのにしなさい。いいですね..もう〜」

と二人でブツクサ言いながら消えてしまった。

 先輩の話によると、その二人”あのねのね”の赤とんぼ..をかけた時も、相当慌てたらしい。”アンネがね..アンネがね.....できちゃった..”がやばかったらしい。いま思えば素敵に素直な時代。ほんとにつくっちゃうもんね〜..赤ん坊。

 Young Music Showではその後2〜3回、モンタレーの再放送を(何故か約10年遅れで)繰り返し流していた。絶頂期のハンブル・パイやフェイシィズ、変わったところではリック・ウエイクマンやスーパー・トランプなど...他のどんな番組よりも楽しみだったのに、やらなくなってしまった。担当のディレクターが局内派閥に飲み込まれたのだろうか...よくありがちなタダの気紛れだったのか...知る術もない。全国の風紀係から「青少年育成に相応しくない番組」としてクレームが来た(?!)..そんなバカな。

 中学卒業までは、多少の優等生(?)だったので見事、進学校へ合格。御褒美でもらった小遣いすべて注ぎ込んで、フェンダーのストラトを買いピートの弾きまねをする毎日。

御多分に漏れず、みるみる劣等生。あれほど真面目に打ち込んだ剣道すら忘れ、酒瓶並べて、ロック好きな仲間と蘊蓄合戦を繰り返した。なんて親不孝な...。

 そんな高校2年の秋、キース・ムーンが天国へ旅立ったというニュースを夕刊で見つける。新聞なんて滅多に読まなかったから、スケベな雑誌の広告でも見ようとしてたんだろう...その日からと言ったら嘘臭いが、弾きまねはコピーへ..今も覚えてる。<つづく>